紀元前二千年紀にはは ≪歴史・地中海・民族≫

ミケーネ諸小王国、ヒッタイト王国、オリエントの諸王国は、「海の民」、インド・ヨーロッパ語族およびセム語族の大移動に条件づけられて、「東地中海世界」とよびうる歴史的小世界を形づくっていたが、ドーリス人の南下定住と「海の民」の攻撃・破壊によってこの東地中海世界が崩壊したあと、地中海地方には、各地に諸民族・諸種族の小集団が村落的に定住していた。

このころを形成期とし、またほぼ紀元後6世紀に至るまでの二、三百年間を崩壊期とするその間の長い時期を地中海世界とよぶ。

一つの歴史的小世界としての地中海世界の構造的な特徴は、そこにおける諸種族の小集団の構造とその発展の仕方にみいだされ、さらにそれら諸共同体相互の関連の独自のあり方に求められる。

すなわち、共同体とは、生産力の低い段階において人間が自然に働きかけ、自然を防衛する際の団体形成のあり方であって、食糧獲得と防衛のために人間は比較的に共同性・平等性の強い集団を形成する。

共同体のこのような性格に応じて、生産力が上昇すると、それに伴い、共同性・平等性は薄れ、共同体内の上下の分解がおこる。

地中海世界における共同体は、地中海によって促進される商業交易の影響のもとで、こうした分解は他の歴史的小世界と比べて特徴的に速い速度をもっていた。

この分解のある時点で、共同体はそのなかの有力者の指導のもとに、多くは複数の共同体が合体してポリスを形成した。

アテネ、スパルタなどのギリシアの市民団体も、ローマも、広義にいえばこうしたポリスであった。
update:2010年03月17日